97/10/29作成
98/01/07更新

アラン諸島
ARAN ISLANDS
爆走レンタサイクル

▼日頃の心がけ?
▼アラン諸島に上陸
▼暴走自転車
▼再びダブリンへ


■日頃の心がけ?■ ▲TOP▲ ▼NEXT▼

8月7日 木曜日
6:30起床。カーテンを開けたら屋根の上に灰色のネコがいた。今朝も曇っている。ジーンズはまだ濡れているのでコットンパンツをはく。
朝食はオランダ人の女の子と一緒。近くの街に夏の間働きに来ていて、2日間のお休みをもらってここへ遊びに来たとか。今日はコネマラ地方のツアーに参加するらしい。昨日は街をぶらぶらしていたというと、「パブには行った?」と聞かれた。ゆうべパブに入ったらアイリッシュ・ハープの演奏をしていたそうだ。いいな、でもわたしには一人でパブに入る勇気はまだない。唐突に「香港は日本の一部か」と聞かれた。ちょうど香港が中国に返還されたばかりなのに。極東は遠い。

早めに市内に着いたので広場のベンチで一休み。10:15フェリーに乗る。フェリーは中にビュッフェやちょっとした売店もあり、なかなかのもの。船内にも座席はあるが、甲板の上の一番前のベンチに陣取ることにした。思ったより寒くなく、快適だ。10:30ゴールウェイのフェリーポートを出発。だんだん晴れてきて、しばらくすると快晴に。なんて幸運なんだろう。日頃の心がけがよいからか??甲板の上で海風に吹かれながら絵葉書を書く。

■アラン諸島に上陸■ ▲TOP▲ ▼NEXT▼

12:30頃イニシィア島に到着。どこが見どころかわからないので、とりあえずみんなが歩いていくのにくっついて小高い丘の上の廃墟のようなところへ行く。小さな子が「ガイドしようか?」と声をかけてくる。あとから調べてわかったのだが、15世紀の城跡だということだ。ここで同じ船で来た日本人の女性二人、男性一人と会う。みんな一人でアイルランドへ来ている人たちだ。

イニシィア島の風景丘の上の城跡

写真を撮ってもらったりしたあと、海岸近くのケルト十字の見える方へ歩いて行ってみた。墓地の中に入ると古い教会の跡があった。10世紀のもので、アイルランドの聖地の一つだという。島内はこどもがサッカーをしている姿を見かけたほかは人影もまばらで、ヒツジばかりが目立つ。海は青空の下いくらか冷たい色をしている。

石垣が延々と続くはちあわせ(ヒツジ)

13:30にイニシィアを出発。当然ながら(?)昼食は抜き。船内でKさん、Yさんと住所を交換。14:00過ぎ、アラン諸島で最大の島イニシュモアに到着。この島で泊まるというYさんと一緒にインフォメーションセンターへ。ここで絵葉書の切手を買うのにカウンターで少し手間取ってしまった。地図を見ると、島最大の遺跡ドゥーン・エンガスまでは5〜6キロ程度らしいので、ミニバスの客引きを断ってKさんと一緒に自転車を借りる。変速付きでタイヤがごつごつしたオフロードタイプ。自転車に乗るのは二ヶ月ぶりぐらいだが、メインロードは舗装されているので、快調に出発した。

道路沿いにしばらく自転車を走らせる。地図を見ると、そろそろ最初の遺跡があってもいい頃だ。左の脇道からやはり自転車の人達が出てくるので、なにかあるのかと二人で寄り道することにした。
しかし、はっきりした道はすぐになくなり、あとは行けども行けども石の重なり合った岩場ばかり。高原植物のような花を愛でる余裕もなく、自転車を押してガタガタ進んだが、どうも何もありそうにない。びょうびょうと風が吹き抜け、それはそれでいかにも「らしい」風景だったが、ここでかなり時間をロスしてしまった。

■暴走自転車■ ▲TOP▲ ▼NEXT▼

メインロードの方へ引き返して進んだが、道はだんだんアップダウンがきつくなってくる。予定では30分ぐらいでドゥーン・エンガスに着くはずだったのに、15:30頃になっても島の中央のビーチにも着かない。太陽はますます明るく輝き、昨日コートを着ていたことなど嘘のようだ。万一に備えてデイパックに入れてきたアランセーターが背中で蓄熱ヒーターのようになっている。「晴れてラッキー」どころではない。
途中で本物のアランセーターを売っているところなども通ったが、寄っている時間なし。ミニバスが何台も追い抜いていく。やっぱりレンタサイクルは失敗だったか…?ウシやヒツジ、ところどころぽつんと民家のある中を、無言になってペダルを踏む。

「ドゥーン・エンガスはこちら」という案内が見えた頃は、すでに16:00前。船に戻るのに間に合わないと弱気になったわたしを、Kさんが励ましてくれて、とにかく行ってみることに。遺跡内には自転車は入れないため、ゲートの手前で自転車を置き、ウシの鳴き声を聞きながらひたすら歩く。
10分ほど歩いただろうか、ようやく遺跡の中へ入れた。ドゥーン・エンガスはさすがにすごい。切り立った100メートルほどの崖を半円形に囲むように石垣が作られている。崖には囲いも立て札も命の電話の看板も何もなく、すぐそばまで近づける。その先には海が広がるばかりで、何もない(実際はアメリカ大陸があるわけですが…)。地の果てに来たなぁ、という感じだ。あきらめないで来て良かった。

民家の庭にて崖に近付く

名残惜しいが時間が全然ないので自転車を置いたところまで引き返し、そこで客待ちをしていたミニバスの運転手にフェリーポートまで送ってくれないかと頼んだが、あっさり断られた。もし船に間に合わなければ、ここで泊まるしかない。後は必死のペース。なんだかわたしの自転車は変速器が壊れているのか、Kさんのと較べこいでもこいでも前に進まない。カーブもかまわず突っ込み、下り坂ではブレーキをかけずに加速して、なんとか登り坂を乗り切ろうとするが、途中で止まってしまう。なぜか「峠攻め」という単語が頭に浮かんだ。
日頃の心掛けならぬ運動不足がたたって、汗はだくだく、足はがくがくになりながら、なんとか16:50頃にレンタサイクルを返すことができた。帰りは30分ぐらいで帰ってきた計算だ。とにかく何か冷たいものが欲しくて船に帰る前にソフトクリームを買う。至福の味。

17:00過ぎ、フェリーはイニッシュモア島を離れた。帰りは甲板の上には座れず、通路にKさんと並んで座る。時々うとうとしてしまった。小雨も降り出して汗をかいた体が冷え、少し寒い。19:00過ぎゴールウェイに帰りつき、Kさんと一緒に『McDonagh's』(マクドナルドではない)で夕食。メニューはムール貝のパン粉詰め、タラの焼いたもの、ブラウントースト、サラダ、それに白ワインを少々。

Kさんと別れ、バスに乗ってB&Bへ帰る。ようやくこのバスにも慣れたけど、あすはダブリンに移動だ。隣の座席に座った男性にいろいろ話しかけられ、再び汗をかきながらお話をした。彼は日本のことを「イワシのように人がいっぱいいる」と表現。また、「北朝鮮の食料危機をあなたはどう思うか、食料援助に賛成か反対か」と非常にシリアスな問題を突きつけられて、正直に答えてよいものか困惑した。
同じバス停で降りたおじさんと握手して別れた。

鍵を開けて入ると、ご主人が奥にいた。ご主人を見るのは初めてだ。くたくただったが洗濯と荷づくりだけはしなければならない。シャワーを浴びようとTシャツを脱いだら半そでの跡がくっきりついていた。油断していた。

今日も24:00過ぎ、就寝。

■再びダブリンへ■ ▲TOP▲

8月8日 金曜日
6:30起床のつもりが気が付くと7:15。あせるあせる。洗濯物は全然乾いていないのでそのまま袋に詰めて、8:45チェックアウト。持参していた京都の絵葉書2枚をミセスへのお土産に。今日も空はどんよりと曇り。わたしにとってのゴールウェイの印象は「どんより」になってしまった。

今日は再びランブラーチケットを使ってダブリン行きの長距離バスに乗る予定。ダブリンと違って、ゴールウェイのバスステーションには行き先別の表示がない。バス停はずらりと並んでいるのだが、番号が書かれているだけで、例によって行き先などは書いてない。建物内も一生懸命見たのだが見つからず、仕方がないので窓口で確認。これだけに10分も並ぶなんて、非効率的だ。

10:30、バスはダブリンへ向かって出発した。

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