97/11/15作成
98/01/07更新

カーライル
CARLISLE
ハドリアンズ・ウォールを訪ねて

▼最高の宿
▼人はどこへ行ったの
▼国境に立つ
▼ヒースローを駆け抜けて


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8月17日 日曜日続き
ホテルを早くチェックアウトしてきてしまったので、11:00にはウィンダミア駅に着いてしまった。11:50まで列車がないので、駅の隣の大型スーパーに入り、食料を少し買う。外国のスーパーはどこでも見るのが楽しいが、さて、買う物があるかと言われると、そうでもない。日曜日なので、店内は家族連れでかなり混み合っている。

定刻の列車に乗りオクスンホルムへ、そこからさらに北行きの12:22発の列車に乗り換え、13:30にカーライルに到着。駅を出るとすぐに昔のゲートがあり、空も曇っているし、いかにも「城塞都市」らしい厳しさを感じる。先入観ありすぎか?
インフォメーションセンターは駅から歩いて10分ほどの広場の真ん中にあった。街は花が飾られ、手入れが行き届いている。それにしても、メインストリートだというのに人が少ない。日曜で店が全部閉まっているせいもあるが、散歩している人もあまりいない。宿はいつもの通りインフォメーションで紹介してもらった。今回はシングルのB&Bがなく、ゲストハウスという一つ上のランクの宿になってしまったが、ここのインフォメーションは紹介手数料がいらなかった。

遠くカーライル大聖堂を望む

歩いて10分ほどの宿まで歩く。やはり人通りが少なく、ちょっとさみしい。着いた宿は住宅街の中にあり、一見普通の家だったが、中に通してもらってその素敵な内装に驚いた。間違いなく、今回の旅の中で一番だ。階段にも昔のカーライルを描いたエッチングが掛けられている。部屋はダブルルームだが、広々としていて、ベッドには小さな天蓋がついており、マントルピースがあり、花が生けられ、本が並べられ、お茶のセットもブランド物だ。バスルームの壁は大きな鏡張り、基礎化粧品もコットンまで揃っているので感激した。グリーンルームという名の通り、グリーンでコーディネートされていて、部屋のキーにまで豪華なグリーンのタッセル(房飾り)がついている。全体的にはシノワズリーテイストでまとめられており、ベッドのヘッドボードにはステンシルでドラゴンが描かれているのだが、下品な感じではない。

『グリース』に出ていた頃のオリビア・ニュートンジョンに似たミセスが居間でお茶を入れてくれた。お茶のセットは、以前BSの『アンティーク鑑定会』で見たことのある女流作家の物だ。居間も四方がさまざまな額やタペストリーで飾られ、隙間もないほどだが、まとまっていてセンスがある。もちろん、いただいたショートブレッド?も美味だった。
部屋の内装ばかりでなく、ミセスも大変親切だ。日本に行ったことがあると言うのでよく聞くと、船で世界一周したのだという。もしかして、めちゃめちゃお金持ちなんではないだろうか。今夜の夕食はどうするのかと聞かれ、トラディショナルなイギリスの料理を食べたいというと、だったらパブがいいだろう、よかったらご主人に頼んで連れて行ってあげようと言ってくれた。他にもいくつかおいしいレストランを紹介してくれた。

「どうして、カーライルへ?」とうとうこの質問をされるときがやって来た。ハドリアンズ・ウォールを見たかったのです、わたしはこどもの頃(本当はほんの5年ほど前)、ローズマリー・サトクリフの小説を読んでいたく感動した、その舞台がハドリアンズ・ウォールだったので、いつか実際にこの目で見てみたかったのだ、というようなことを答えた。あとからご主人もやって来て、そういうことなら、とハドリアンズ・ウォール付近のウォーキングマップ、どのあたりの遺跡がよく保存されているかなどが書かれた参考資料のコピー、その他を貸してくれた。今朝まであのホテルにいたので、この親切は心にしみた。

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カーライル城 まだ15:00すぎだったので、カーライルの街を見物することにした。カーライルはその地理的な条件から、ローマ占領時代から国境の重要な拠点として闘争に明け暮れてきたところだ。カーライルの建物は特有の赤茶色の石で出来ており、街全体が赤っぽく、その歴史と相まってなかなか壮絶な感じを与える。

大聖堂を見たかったが、内部ではミサ(?)が行われていたので、そのままカーライル城に向かう。カーライル城は、まさしくヨーロッパの戦いの城のイメージそのものだ。11世紀に作られ、現在も一部が軍事施設として使われている。曇った空の下、旗が翻っているのを見ると雰囲気がある。内部には牢屋として使われた地下室や、囚人が彫った彫刻なども残されていて、凄みを感じる。

街の中心部に戻ってきて広場を横切っていると、モニュメントの足もとに座り込んでいた少女二人がわたしをからかって笑った。反論したいが言葉が出ないので無視して通りすぎた。
壁に行くバスがよくわからず、ショッピングモールの真ん中の泉のそばのベンチでパンフレット類を広げて研究していると、自転車に乗った男の子がやって来て時間を聞いた。答えてやると、「発音が悪くてわからない」とか何とか言うのでまたもや腹が立った。
しばらくすると、高齢の男性がやって来て、話しかけてきた。先程の例があるので用心していたが、今度のおじさんは悪意も何もないようで、「どこからきた」「親はなにをしているのか」とかいろいろ聞いてくる。しかし、標準英語とはまた違う英語なので、大変わかりにくい。それでも一生懸命聞き取って、「日本の京都から来た、京都は1200年の歴史のある街だ」と答えると、「カーライルだって負けないほど古いんだ」といばっていた。彼はもう50年以上この街に住んでいるのだという。ここは静かな街ですね、と言うと、「今日は日曜日だから。いつもはもっと活気があるんだよ。わしはこの街が好きなんだ」と言っていた。寂れた街というわけではないのだろうか。
おじいさんはわたしをパブに誘いたそうだったが、ちょっと遠慮したい気分だったので、断った。すると「お酒がダメなら、オレンジジュースでもどう?」と聞いてくれたのでちょっと困った。いい人だった。握手して別れた。

銃眼からみた街 宿に帰ってわざわざパブに連れて行ってもらうのはちょっと気が引けたので、教えてもらったおいしい魚料理の店に入った。中に入ると、隣のパブと内部でつながっていたのでびっくり。しばらく座って待っていたら、「注文が決まったら先にレジで清算するのよ」とウェイトレスが教えてくれた。ベークド・コッドの五色ソース添えみたいなのを頼み、「ビールも…」と頼むと、「自分で隣で買ってきて」と言われた。なるほど、そういう仕組みになっているのか。ビールを買いに行くとギネスがあったので、半パイント頼む。久し振りに飲んだビールはうまかった。魚もおいしかった。チップがいるのかどうか少し悩んだが、誰も置いていないようなので、そのままごちそうさまと言って出てきた。

部屋に帰ってパンフレットをよく見直すと、明日の朝のバスの時間を9:45と思っていたのが8:45だということがわかり、さんざん悩む。これでは8:00に朝食を頼んだのに間に合わない。結局、大聖堂も見ていないことだし、お昼のバスに乗ればガイドもついてくれるらしいので、お昼のバスにすることにした。やっと予定が決まり、ほっとしてお風呂に入って就寝。またも24:00をまわっていた。

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8月18日 月曜日
さすがに北の街、明け方は少し肌寒い。6:30頃、何となく漂うパンの香りで目が覚める。外は穏やかな晴れ。8:00きっかりに朝食、ここでも食事はご主人の担当だ。焼きたてのパンを始め、ミューズリー、ソーセージ、ベーコン、ブラックプディング、ベークドポテトトマト、マッシュルーム、ポーチドエッグ、どれももう最高においしい。ご主人は、昨日は楽しかった?と聞いてくれたが、「でも、僕はパブに行き損ねたよ。待ってたのに」と付け加えられて、大変恐縮してしまった。

街にでると、昨日と同じ街とは思えない人通り。日曜は家で過ごすのが習慣なのだろうか。現金がなかったので(宿はカードが使えない)トラベラーズチェックを現金化しようと思ってある銀行に入ったら、「うちでも換えられるけどアメックスのは手数料がかかりますよ。ロイズだったら提携してるので無料ですよ」と教えてくれ、ロイズの場所まで教えてくれた。感激。北の方の人は冷たいなんて法則はなかった。

大聖堂(天井がきれい!)と、カーライルのミュージアムに行き、ちょっとした歴史的経緯を頭に入れてから、バスに乗っていよいよハドリアンズ・ウォール(現地の発音では、ヘイドリアンズの方がより近い)へ向かう。
資料を読みこんだ結果、ヴィンドランダというところまでバスで行き、そこから歩いてハウスステッズというところまで行くコースが良さそうだ。が、途中で人がどんどん降り、途中から乗客はわたしともう一人白髪の女性だけになってしまった。ガイドさんも結構なお年の方で、いろいろ説明してくれるがいかんせんこちらは理解力がない。わたしの反応が思わしくないので、途中からお年寄り二人で仲よくしゃべり始めた。

ヴィンドランダ・フォート(要塞)で降りると、すぐローマンフォート・ミュージアムがある。どうってことない展示なのだが、そこの入場料を払わないと、遺跡を見せてもらえないことになっている。うろうろしていると、先程のバスのガイドさんが話しかけてきてくれた。「今日は午前中日本人の団体を案内したんだけど、誰も英語をしゃべらなかったのよ。通訳がいて助かったわ。あなたは英語が少しわかるから大丈夫。あと一年ぐらい頑張れば、上手になるわ」と言われてしまった。とほほ。一年も頑張れない。ハウスステッズまで行くというと、とても良い道だから、楽しいでしょう、と励ましてくれた。

行き止まり しかし、ここからのパブリックフットパスで少し迷子になってしまった。大抵のフットパスは人が歩いた跡がけもの道のようになっているのではっきりしているのだが、この道はあまり歩く人がいないらしく、草が茫々と生えて、わかりにくかったのだ。一度引き返して正しい道に戻り、「牛の関所」などを通り抜け、ひたすら牧場の中を歩く。風も気持ちよく、穏やかに晴れて、眺めは最高だ。約一時間ほど歩いてようやくハウスステッズに到着。ここは少し離れたところに駐車場があり、車で来ている人が多いらしかった。ここにも小さなミュージアムがあり、そこの入場料を払って初めて遺跡に入れる。

念願のハドリアンズ・ウォールは思ったよりも小さく、万里の長城という感じではないが、それでも北のスコットランド側は切り立ったがけになっていて、これでローマ人は北の侵入を防いだのだ。砦の跡にはわずかに敷石や円柱の跡が残っていて、ローマ文化が偲ばれた。

ハドリアヌスの壁ローマ式円柱の名残スコットランド側

壁の上に立ってスコットランド側を見やる。サトクリフの小説『王のしるし』の主人公は、ラストでこの壁の上に立ったのだ、と思うと感慨深いものがある(注)。風の音が聞こえ、アザミの花(スコットランドの国の花)が咲いている。ここは古(いにしえ)の国境なのだ。

ハウスステッズの駐車場から最終のバスでヘクサム駅まで行き、そこから列車でカーライルに戻った。おなかが空いたのでついつい車中でキャラメルバーを食べてしまい、お腹がいっぱいになってしまった。すぐに夕食を食べる気になれずに、ミセスに聞いたお散歩コースに出掛けた。
イギリスの川はたいてい両岸をコンクリートで固めたりせずに自然のまま(のよう)にしてある。夕日が川面に映え、何かの綿毛が飛んで、ターナーの絵を見ているようだ。都会なのに、ものの十分もあるいただけでこのような自然の光景に会えるなんて、イギリスの人は恵まれている。もちろん、そのような環境を守るべく努力も払われているのだろう。

エデン川の夕暮れ

結局歩きすぎてぐったり疲れて宿に戻った。お風呂に入ってさっぱりしたが、夕食を食べに出掛けるのが面倒で、またまたカップヌードルを食べてすましてしまった。今度は用心してチャイニーズテーストを仕入れていたのだが、やっぱりまずかった。だいたい出来上がるまで10分もかかるのが腹立たしい。恥ずかしいのでここでもカップはゴミ箱に捨てず、袋に入れて持って出ることにした。

明日で旅行も終り。荷づくりして24:00に就寝。

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8月19日 火曜日
またもや変な夢を見て目が覚めたら5:00だった。6:50には目覚ましが鳴って、いよいよ今日はドイツへ帰るのだなぁと思う。コンタクトレンズの洗浄液もくさったような匂いのアネッサの日焼け止めもみんな捨てたけど、荷物はやたら重い。本とか化粧品とか買いすぎたせいだ。
朝ごはんは今日も本当においしい。ミセスが「昨日は楽しかった?本で読んだのと比べてどうだった?」などと聞いてくれ、覚えていてくれたんだなぁと感激した。とても気持ちの良いウォーキングでしたというと、それはラブリーだった、いつもはこのあたりはもっと天気が悪くて、そうするとあの壁のあたりはとても寒いのよ、と教えてくれた。
本当にここの宿は気持ちの良いところだった。お土産の絵葉書は4枚も奮発。チェックアウト後、ご主人が駅まで車で送ってくれたばかりか、プラットフォームまで調べて荷物を運んでくれた。今度来ることがあったら絶対またここに泊まると決めた。

8:45にカーライルを出発。あとはロンドンまでひたすら帰るだけ。オクスンホルムからのってきた日本人の家族連れが、「柿の種」を食べ始め、車両の中におかきの匂いが充満した。なんだかなぁ。
13:00ユーストン駅に着く。チューブだと乗り換えがめんどくさそうだったので、エアバスで行くことにした。ちょうどバスは12:58に出たばかり、30分も待たなければならない。ロンドンの日ざしはジリジリと焦げつくようだ。ロンドンはまた別の季節に来よう。

バスはなかなか来ず、気の小さいわたしはやきもき。おまけに道路は大渋滞。めんどくさくてもチューブにしておけばよかった。16:00発のブリティッシュ・エアウェイズだから、15:00にはチェックインしたいのに、なかなかバスは進まない。

実は、チェルトナムでリコンファームしたとき、あせっていたのでターミナルを尋ねるのを忘れていた。ヒースローはターミナル1から4まであるが、4だけは離れているのだ。もし4だったら、とちらりと考えたが、来たときもターミナル2で乗り換えたから、今度もなんとなくそうだろうと勝手に決めた。(旅行社でチケットを買ったときのケースにはちゃんとターミナル1と書かれていたのだが、全く気付かず、荷物に入れてしまっていたのだ。)
ところが途中でエアバスの乗客はどんどん減り、ターミナル2で降りたのはわたしも入れてたった2人になってしまった。

建物に入ろうとすると、ポーターが「あんた、ここのターミナルでいいの?」と声をかけてきた。ぎくぎくっ!でも、日本人ならターミナル3だよと言ってるのだなと思う。「わたしはこれからドイツへ行くのだ」「ルフトハンザ?」「ちがう、ブリティッシュ・エアウェイズだ」すると、「ここじゃないよ、ほら、この一覧表にないでしょ」というではないか。「おー、ではわたしはどうしたらよいのでしょうか?ぷりーずてるみー」とすらすらと英会話のお手本のような言葉が口から出てきた。彼は建物の奥を指さし、「あそこにブリティッシュ・エアウェイズのチケットカウンターがあるから、あそこで聞いてみなさい」と教えてくれた。その時、時刻は14:50。わたしはあわてて駆け出した。ひょっとしたら彼にお礼も言ってなかったかもしれない。ごめんなさい。ここでお礼を言います。ありがとう。(読まないとは思うけど。)

カウンターには先客がいた。こういうとき横から割り込みたくなるのだが、ヨーロッパでは絶対にそれは嫌われる。いらいらしながら数分待ち、ようやくわたしの番。航空券を差し出し、「どこでチェックインすればいいの???」と聞くと、「ターミナル1」という答えが返ってきた。よかった、とりあえず4ではなかった。職員はターミナル1への行き方を教えてくれ、きっとわたしがものすごくあせった顔をしていたのだろう、「10分ぐらいで行けますよ」と付け加えてくれた。
もちろんそのあと荷物を引きずって「Excuse me!!」を連発しながら、ターミナル2からターミナル1まで走ったのは言うまでもない。その辺をぶらぶらしていたブリティッシュ・エアウェイズのおねえさんをつかまえてチェックインカウンターの場所を尋ね、ついでに空いているカウンターまで見つけてもらい、荷物を載せるコンベアーの上に座っていた東洋人のオバサンにもどいてもらった。人間やらなきゃならないときはやれるもんだと後からつくづく思った。

カウンターではよくわからない質問をされたのだが、壊れ物を入れていないか、自分でパッキングしたか、途中誰かに運んでもらったか、などを聞いていたようだ。答えはノー(ちょっとウソ)、イエス、ノーだ。荷物は18キロもあった。重量制限ぎりぎりだが、なんとか荷物を預けることができ、本当にほっとし、力が抜けた。
まだあせった気持ちの余韻が続き、持っていた葉書を投函することも忘れ、免税店で落ち着いて買い物もできずに(本当はファイロファックスが欲しかったのに)、15:45ブリティッシュ・エアウェイズ942便にあわただしく乗り込み、機上の人となった。


:帰国してから改めて本を見てみたら、『王のしるし』の主人公が立ったのは違う場所だった。ハドリアンズ・ウォールが出てくるのは『第九軍団のワシ』でした。思い込みってコワイ。

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