97/10/31作成
98/01/07更新
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▼謎の団体
▼「えーかげん」の代償
▼何だかなー、の宿
▼キリスト教とそれ以前
▼さよなら、アイルランド
「GLENDALOUGH」について:地元の人の発音ではどちらかというと「グレンダロック」と聞こえ、
またアイルランド政府観光庁のパンフレットでも「グレンダロック」と表記されているのですが、
この旅行記では『地球の歩き方』に従って「グレンダロッホ」と表記します。
これは便宜上そう決めるものであり、どちらかが正しいという意見を表明するものではありません。
8月10日 日曜日続き
グレイラインツアーバスの運転手兼ガイド、トニーさんはヒゲをはやした立派な体格。おそるおそる「荷物をバスの荷物置き場に入れさせてもらいたいんですけど」と言うと、「だめです」。わたしの顔色が変わったところでニヤッと笑って黙って荷物を入れてくれた。もぅ、お茶目なんだから。心臓に悪いからやめてほしい。
バスには意外や日本人の団体サン(しかも女性ばかり)が乗っている。年齢は20代から上はかなり幅広そうだ。アイルランドでこんなに沢山の日本人をいっぺんに見たのは初めてだ。
空いている席に座ったら、隣席のやや年配の女性に「あなたもこの団体の一人?」と聞かれたので「ちゃいますちゃいます、わたしは一人旅です」と答え、しばらくお話をした。彼女はオーストラリア人で、やはり一人旅だという。
集合時間に遅れてくる人が多く、バスは予定より15分以上遅れて10:50頃出発。ぼーっと窓の外を眺めていると、彼女が「ほらほら!見て!ウサギがいる!」と教えてくれた。「そうですねぇ。ドイツでも公園に沢山いましたよ」と何の気なしに答えると、「あら、そう」と少し残念そう。バスが郊外にさしかかり、アイルランドらしい牧場の風景が見えてきた。今度はわたしが「あっ、ヒツジ!あっ、こっちにも!」とはしゃいでいると、彼女は「そうねぇ」と少々冷たい。あとでよく考えてみたら、オーストラリアではヒツジなんて珍しくもなんともないのだ。かえってウサギなど、当たり前のような動物はいないのかもしれない、と思う。
バスはジェイムズ・ジョイス・タワーなどに立ち寄りながら、アヴォカ (Avoca Handweavers) という織物会社のショールームヘ来た。山の中なのだが、ここはなぜかツアーのコースには必ず入っているらしい。洋服やひざ掛けなどの他に、チョコレートやパスタ、陶器なども売っていて、カフェも付属している。京都でいうと『しょうざん』みたいなところ(だと思う)。「フン」と思っていたのに、中に入ると目がくらみ、マフラーを三本も買ってしまった。ここで別のツアーに参加していたKさんと三度会った。
いよいよこのコースのメイン、グレンダロッホに向かう。ここはアイルランドでも最も古いキリスト教の遺跡(6世紀頃のもの)で、アイルランドの人にとっては聖地中の聖地であるそうだ。現在は崩れた教会しかないのだが、墓地には真新しい墓も造られていた。ここに埋葬されることはアイルランドの人にとって憧れなのだが、現在は限られた家の人にしか許されていないのだという。(注:聞き取りが悪く間違っているところもあるかも知れません。)
トニーさんに入場券代わりのシールを貼ってもらい、いったん解散となった。ここからはレンジャーの女性が建物の一つ一つについて説明してくれる。あたりは自然の中の遊歩道になっていて、時間があればハイキングしたい素敵なところだ。
ビジターセンター近くでうろうろしていると、先の団体の一人に「集合場所はどこだと言っていましたか?」と尋ねられたので、「わたしの拙い英語力で聞いたところでは、ホテルの向こう側の道だと言っていたと思います」と答えた。しばらくして「集合場所」近くに行ってみると、団体の人達が集まっていた。やはり間違っていなかったと思いながら、トイレに行っておこうとビジターセンターの方へ引き返し、ふと見ると、バスの隣の席に座っていた女性が「集合場所」とは反対方向の駐車場の方へ行くではないか。「?」と思いながら後を追いかけると、なんと、駐車場にはわたしたちのバスが止まっていて、トニーさんはじめ、日本人以外は全員集合していた。「ホテルの向こう側」にあるのはグレンダロッホへの入口そのものだったのだ。
結果的に嘘を教えてしまったわたしは焦ったが、トニーさんに「今呼んでくるから、置いていかないでね」と頼み、間違った「集合場所」にいる人達を呼びに走った。自信のないことはしつこく確かめるべきだったのに。反省してもし足りない。しかし、彼女達はもう「集合場所」にはいなかった。どうやらおかしいということに気付いて自分達で移動してくれていたのだ。また走って駐車場に戻る。
グループのリーダー格の人が、「わざわざ呼びに来てくれたの、ありがとう」と言ってくれたので「こちらが間違ったことを言ってしまったので、すみません」と謝った。「皆さんはツアーなんですか」と聞いてみたところ、意外な答えが返ってきた。「ツアーって言うか、研修なんですよ。わたし達、全員英語の教師なんです」
うーん。汗を拭きながら、日本の英語教育の未来をちょっぴり愁えた。
バスは次にウィックロウの山 (Wicklow Gap) へ向かう。山といっても日本の山のような高さはないのだが、涼しい気候のせいか、背の高い木はなく、露出した岩肌と背の低い植物に覆われている。ヒツジの足元に小さな花を咲かせている植物は、トニーさんが「へザーです」と教えてくれた。
山を下り、湖(ダブリンの中央を流れるリフィ川の源流)が遠く見える素晴らしいところで写真を撮ってもらった(一応非公開…)。
ツアーの最後は、貴族の館ラズボローハウス。ここまでの行程とは打って変わって18世紀のきらびやかなインテリアと絵画を堪能。大きなバロック真珠のネックレスをつけた年配の女性(70歳ぐらいだと思う)がテキパキとガイドしてくれ、別の意味でも感銘を受けた。
17:40頃ダブリンに戻り、荷物を受け取ってバスで次の宿に向かう。今度はバスに乗り合わせた女性が親切にB&Bの場所まで教えてくれ、迷うことなく到着できた。
ここのミセスは「おばあちゃん」と呼んでもいいお年頃。「ハーイ、待ってたわよ」と思い切りほっぺにちゅーされてしまった。
今度の部屋は大きいが少し古く、洗面台のタオル掛けは壊れているし、シャワーも何となく清潔感がない。車用の芳香剤があちこちにぶら下げてある。おまけにでっかいドーベルマンを2匹も飼っていて、窓を開けると彼らが唸るのだ。都心だから仕方ないのか。
最初、朝食は9:00と言われたが、それでは明日のバスツアーに間に合わない。変更してもらおうと奥に声をかけたが、TVの音がとても大きくて、全く通じない。困っていたところに新しい客(イタリア人の二人連れ)が来たので、やっとミセスが表に出てきてくれた。10:00にバスセンターなら9:00でも間に合うと言われたが、頼み込んで8:30に変更してもらった。
シャワーを浴び、ベッドにひっくり返ってプリングルスを食べながらダイアナ妃ボスニア?訪問のTVを見ていたら、寝てしまった。夕食に出るのがまた面倒になり、そのまま本格的に寝た。
深夜、雷雨。
8月11日 月曜日
空は真っ青。今日も暑そうだ。8:30に食堂に降りていったけど朝食の支度は出来ていない。イタリア人二人連れも手持ちぶさたにしている。奥へ声を掛けたけど、相変わらずでっかいTVの音とおしゃべりで聞こえないようだ。さんざん大声を出してようやく手伝いの近所の主婦(想像)が出てきた。
シリアルのボウルは昔給食で使っていたような銀色の金属製。ちょっと、犬になった気分。
出掛けるときも声をかけたけど、聞こえないようなので黙って宿を出た。
ここのバスはいまイチ仕組みがわからない。やっと目指すバスが来たと思ったら通過して行ってしまった。あっけにとられるわたしに、側にいたおじさんが「乗るなら手をあげて合図しないとダメ」と教えてくれた。どうやらリクエストストップとかいうものらしい。
さらに降りる場所を間違え、10分ほど歩いてバスセンターに到着した。やっぱり朝食を8:30にしてもらっておいて良かった。今日のバスドライバーはジミーさん。なんだか車内は空いているなぁと思ったら、どやどやとボーイスカウトの一団が入ってきた。袖のところにドイツの国旗が付いているのを知っていながら、隣に座った男の子に、わざとらしく「ねぇ、どっからきたの?」と聞いてみた。すると男の子はじっと考えてから、「Germany」と一言。その後は心なしかあちらを向いてしまい、カワイイ男の子とお話ししようという下心は見事に潰えた。
このツアーでもまた日本の人達に会う。どちらも三人組だが、一方はご夫婦と女性一人、一方は「やっぱり山がないから広々しているねぇ」なんて話している正体不明の男性たち。サラリーマンでもなさそうだ。
ちょっと斜めになってしまいました→
最初に立ち寄ったのは、モナスターボイス (Monasterboise) という古いキリスト教の墓地。グレンダロッホのものと似たタワーとケルト十字を観ることができる。次に停車したのがメリフォント修道院 (Mellifont Abbey) 。12世紀に建てられたシトー修道会系の修道院で、一時は100人以上の修道士がここで修行していた(らしい)。『地球の歩き方』にも載っていないのでその存在を全く知らなかったが、 残された礎石やアーチにはとても風情が感じられた。修道士フリーク(!)の人にはお勧めである。資料室もあり、出土したタイルや復元図などを観ることができる。
今日のツアーは昼食を食べる時間がちゃんととってあった。ご夫婦プラス1のグループの方から「一緒に」と誘っていただいて、昼間からギネスを飲む。しあわせ。
とてもそのグループの旅慣れた様子の女性から、アイルランドは10年前と比べてとても景気が良いという話を聞いた。精密機器だか、電子部品だかの生産が盛んなのだそうだ。そういえば「チェンジ・プリーズ」と声をかけてくる人の姿をほとんど見かけなかった。
いよいよ本日のメーンイベント、ニューグレンジ訪問である。ここは、今までの遺跡と少し違う。キリスト教が伝わる以前の古代の古墳なのだ。グレンダロッホと同様、ニューグレンジでも、ジミーさんが入場券代わりのシールを服にぺたっと貼ってくれた。
古墳に行く前に、あらかじめビジターセンターで映画を観て知識を仕入れていく仕組みになっている。ビジターセンターから古墳まではシャトルバスで移動するのだが、バス停は景観の邪魔にならないように巧みに隠されていた。古墳の外観は、修復されてちょっときれいすぎるぐらいだが、古墳の内部には実際に入ることができ、レンジャーのおねえさん(おにいさんのときもある)が詳しく説明してくれる。おねえさんがフランス語の質問に流暢なフランス語で答えているのには感心した。
遺灰を載せた石盤(一説には骨が堆く積んであったとか)や、石室内の天井に彫りつけられた模様などをはっきりと観ることができたが、やはり圧巻は、ライトを消して真っ暗にしてから行われる冬至の日のシミュレーション。この日、暗い石室に、狭い通路を通ってまっすぐ日光が差し込むように設計されているのだ。
謎の男性三人組は、ダブリンでの学会に来ていたお医者さん達と判明。よせばいいのに「写真を撮ってあげましょうか」としゃしゃり出て失敗した。慣れないことはするものではない。
ダブリン帰着後、昼食と同様に夕食も一緒にと誘っていただき、リフィ川沿いのレストラン(パブ?)で四人で食事。スモークサーモン、ローストビーフ、ガーリックマッシュルーム、オムレツ、それにやっぱりギネス。
21:00頃、宿にかえって荷づくりをする。今日も絵葉書を書く暇はなし。
8月12日 月曜日
朝、鏡を見ると鼻の頭の皮が剥けていた。もう、手の甲なんか真っ黒だ。日本に帰ったら死ぬほど後悔すると思う。
今日も8:30に朝食に降りていくと、同じテーブルに、マルチカラーのタンクトップを着た東洋人の女の子が座っている。「どこからきたの?」と例によって尋ねると、日本語で「日本人の方ですよね?」と返されてびっくり。とても日本人離れした感じだったので、東洋系のヨーロッパ人だと思ってしまった。彼女は以前ダブリンに語学留学していて、今はスペインでスペイン語を習っているという。ヒースローで入管のとき、帰りの切符をまだ買っていなかったため、15分ほど止められたそうだ。わたしの場合は往復チケットだったので数分で通してもらえたが、イギリスの入管は厳しいというのはやはり本当なのだ。
部屋に戻ると、ミセスが宿代を取りに来た。わざわざ来てくれなくてもちゃんと払いに行くのに。またぶちゅーっとキスされて、「神様のご加護がありますように」と言ってくれた。まぁ、ここもそれなりに良かった。でも、絵葉書はなし。
今日でアイルランドとはお別れ。一旦バスセンターへ行き、そこからダブリン空港へ向かう。ランブラーチケットは一日分使われないまま残った。
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